”RURIKO”読み終わった。浅丘ルリ子の父が”甘粕大尉との約束を果たせた”と言って亡くなるところで予定調和。満州に、ロマンを感じていた世代、うらやましい。私も当時だったら、満州に行こうとしたかも。
アキバの犯人。多分”勝ち組、負け組”自分は負け組から抜け出せないと思ったのでは?で、”勝ち組負け組”マスコミの造語ですが、確か以前の10チャンの番組で”昭和30年代を描いた映画”続3丁目の夕日”の時代背景を説明していた中では、、貧富の差は今より大きかったと言っていた。そうだと思う。あの頃生きてきた経験では、私は貧乏人?の小倅だったけど、”お金持ち”と私たちは、人種が違うと思っていた。あの人はお金持ちだからいい洋服を着て、いい物をもって、いいなとは思っていたが、それを持ちたいとか思わなかった。あきらめではないけど、当然という感覚だった。マスコミはいい加減な分析は止めてほしいと思う。
で、なにがと考えると50年代の”anann””nonno”のブランド紹介かなとも思う、宗教観、生き方、教育、いろいろあると思うがこれから考えていゆきたいと思う。
で、昨日書いたことに、”4日前でよかった”と書いたとについて、千代田区の会長としてふさわしくないと言ってきた者がいるけど、言いたいことを書いてなんなんだ。いつでも辞めてやる。で、これは、そんなことを言ったら、”中国はどう思う”という媚中派と同じなのですよね。言いたいことを言って、喧嘩になればいいじゃない、涙流して頭を下げればいいだけだし。
4日前でよかったと思ったのは、あの時間12時前後は、搬入と‘テント到着組み立てのため、私と岡村理事と数名の委員が集まっていた頃。あの時間に起きたら、委員の動員については岡村理事に任せておいたから、当日その時間に来る委員が誰かも分かっていないし、その携帯も知らないし、混乱の名で会員の安全確保のためになにも出来ずにいたことだろう。
そこで、加藤友三郎(記憶で名前は確かではないが、首相経験のある海軍軍人で加藤は間違いない)だと思ったが、航海で中国の港にいたとき、当直将校として艦橋にいたが、海を眺めながら何か考えようと思って、今船で火災が起こったらどうしたらよいかを考えていたら、実際に火災が起こって、抜群の働きと感状を貰ったという話を思い出した。危機管理は大切だと思った。
で、”RURIKO”に戻ると、浅丘ルリ子”の芸名は、初主演映画の主人公の名前ということだったが、映画の名前がなかったが、私の記憶では、たしか読売新聞の連載小説”緑はるかに”だったと思うが。
で、”RURIKO”に戻ると、浅丘ルリ子は本当は裕次郎が好きだっけど、経験なくて、小橋旭と初体験、その後、、監督とか、年下の俳優とか、石坂浩二との結婚とかいろいろと男関係があって、いつも”綺麗””綺麗”と言われて、この辺は、林真理子の願望で、読み飛ばし。
満州国にはロマンがあるが結論です。
明日からなにを読もうか?
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