和田竜”忍びの国”読み終わった。奇想天外だけど荒唐無稽。お国がなんで無門と一緒にいるのかが分からない。最後に出てくるが弱いと思う。同じ天正伊賀の乱では、市川雷蔵の”続忍びの者”の方がわかりやすい。これも、天正伊賀の乱から石山攻め、本能寺から秀吉家康の天下取りの争いまですべてを雷蔵でつなごうとする無理があると思うが。
秋葉原の事件にしても最近の人殺しは、常に無警戒な者、弱い者を殺しているように見える。そこでは人を殺すことを自己目的としているとしか思えない。何で見知らぬ人を殺すことに意味があると考えられるのだか分からない。昭和初期の暗殺、一人一殺は、首相を狙ったり、海軍三羽烏=米内、山本、井上を狙ったり、その考え方が正しいとは思わないが、世の中をよい方に変えたいという考えでの暗殺、強い者に向かっていったが。まー世間では痴話殺人などもあるにはあったが。意味なく弱い者を”殺す”という世相について考えています。
明日は理事会。秋からの仕事を考えなくては。
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