今日は七夕。天気予報は雨曇。まあいいか。今日は月曜日。急患いっぱい、キャンセルいっぱい仕事はグチャグチャ。更に女の子1名飲み過ぎでグチャグチャまあいいか、そんな日もある。
明日は保険の提出。残業で書類を整えて、女の子1名と食事という名の飲み。そこで男を選ぶときは自分で納得できるやつにしろとか偉そうに言っていたが、帰りの電車の中で考えた。最近は自分の責任がないのでは?結婚にしても子供にしても、責任をとりたくないから結婚しないで同棲するとか、秋田の子供かわ落とし事件にしても、自分がしたことに対して責任を取らない、周りも同情したりすることがいいのかなと思ったたとえば強姦されたということがあるかもしれないけど、それはそれなりに隙を見せた自分に隙があったと思うのだが。当麻ありするとか、間ありに人が多い道を通るとか。
近日は、小澤開作置いておいて、西尾幹二の”GHQ焚書図書開封”を読んでいる。面白いし歴史の隙間を埋めるいい本です。だがしかしその118頁戦前の本で、小笠原に米軍が攻めてきても日本本土から近いから、すぐに行ってアメリカなんかすぐやつけられるよ、というところで、”飛電一下”日本艦隊が小笠原に行って遠くからきた米艦隊を簡単にやつけられるよ、という記述があり、その解説に飛電という飛行機があっという間に飛んでいってそれを追って日本艦隊が到着するから小笠原が易々と占領されるはずがないと書いてあるが、西尾幹二は本当に現行を見たのかしら、もしかしたら国語力がないのかもしれない。一下は命令一下とが、号令一下とが、すぐにという意味だと思うが、下という字を見て地図上の下を考えたのではないのかな。飛電という飛行機が有るか無いかは、調べないと何とも言えないが、私の記憶の中にはない。飛電の”電”は電信電話電報=連絡で、”飛電一下”は小笠原にアメリカが来たぞという連絡があればすぐに日本艦隊が行くから大丈夫という話だと思うのだが。この本の118頁を見てください。
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