今日は矯正があるので、診療所へ、。ほとんど臨月の患者が来たので驚いた。
午前中は私の仕事が少なかったので、”WILL12月号"を覧ていたら、堤堯今月の1冊は、井口武夫著”開戦神話--対米通告はなぜ遅れたのか”。それによると、開戦通告が遅れた理由は、華盛頓の駐米大使館の怠慢とされているが、真珠湾成功のために本国からの電報を送らせた者がいるのではないかということ。華盛頓のメンバーの中から、戦後外務次官を2名出していることはその証拠の一つとあった。開戦通告を遅らせたメンバーの中に瀬島龍三の名があったが、この人、辻正信と同じにいろいろな場面で顔を出してくる。陸士陸大の一つの典型。山崎豊子”不毛地帯”で、シベリヤから帰国した瀬島が毎日日比谷図書館に通って、戦後の新聞の縮刷を全部読んで、浦島太郎だから取り戻さないと言っていたような場面があったが、あれってもしかしたら、戦時中に自分がしたことがどれだけどのように記載されているかを調べて、何がアナウンスされているかを調べてその後の行動言動の基にしたのではないかとと考えた。
マスターズで、片山晋呉が上着に日の丸をつけて、日本からの力に推されて頑張れたと言っていたが、そうだと思う。日の丸の赤は血の色、白は骨の色などと言っている人がいたが、何からこじつけたのだろう?
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