以前お世話になっていた会計士の吉原さんが最後の患者だったので、飲みに。ところが診療台の不都合があって修理が来たので、衛生士の町田に残ってもらったので、修理終了後彼女も呼んで盛り上がった。吉原さんがいた頃、通勤は医科歯科まで車で、医科歯科に留めて、定期はお茶の水→飯田橋にして、車を経費にしていたことを思い出させてくれた。懐かしい。あの頃は仕事の後そんなに飲みに行かなかったのだ。日本酒をしこたま飲んだ。
家に帰って、森功"同和と銀行"読了。当事者がこんなに喋るなんて。"大阪同和利権"の第1章と重なるので、それももう一度読みながら読んだ。
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