浦高歩こう会、鎌倉33寺めぐり第3回、最終回。いろいろトラブルありながらも10時過ぎに北鎌倉に14名集合。途中建長寺に入らず、巨福呂坂の切通しを見に行った。今では道幅を広げ、坂道を少しは緩くしているが、鎌倉時代もっと急で道が細かったろうから、ここから軍勢を引きいて、鎌倉に入るのは至難。今なら切通しの両側に、大きな石や、材木を用意すれが、騎馬と歩兵は鎌倉には入れない。当時は坂道が急で、道がもっと細かったろうから斜面を歩兵で攻めることになるが、山の上で守るほうが勝ち。木が茂っているから騎馬は使えず。新田義貞が、稲村ケ崎から攻めたのは正解。彼は何度も鎌倉に来たことがあったのだろう。鎌倉に行く途中、国柱会田中智学の住居跡の碑が、ここに石原莞爾が通ってきていたのかと思うと、感慨深い。あとで考えると、竜の口に近いからここに居を構えたのではないか。
2時近くになって、鎌倉いつものところで、酒と飯。5時ごろ解散。湘南線で横浜、投球に乗りかえて小杉で、中沢、松本が降りて、大久保君と副都心線で池袋途中殆ど寝ていて、家に帰ってまたすぐ寝てしまった。やっぱり風邪を引いていたみたい。
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