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今朝は4時に起きてしまった。やることも無いので根津神社が、雨の中で明けて行くのをぼんやり見ていた。何かをしているわけでも無いのだが、これはこれで充実感がある。今日の採尿はきちんとやって、機械に入れるのでは無くと言われた。もしかしてこれは退院か。一応明日退院かも知れないからと言うことで、丸、町、ユッくん、マーシャンとのデートは中止にした。CTなど検査をして戻ってきたら、浦高の中沢君と、湯本湯本君がいてビックリ。概ね明日退院と伝えた。その後医師から明日退院と正式に聞いたので、片付けをしてから就寝。
今日も5時起床。やることが無いので、藤井に電話、彼はいつでも元気。電話で30分くらい話したあと、彼は散歩。その後歌を送ってきた。
今日丸が見舞いに来た。丸は珠ちゃんの姪っ子の世話で忙しそう。ホワイトデーのお返しはあげられた。この次は土曜日に丸町ユッくんマーシャン、女房と6人で会うことに。
同室の千田さんと話をしていて、おいしくない食事対策が出来上がった。対策は簡単。15時に、お菓子類の間食充分しておいて晩飯を残す作戦。適当に腹にたまって良い。
ここの、リハビリは伝達が悪い。次のリハビリに行った時には、もう終わる時間だったりする。次にこれを何とかしよう。
今日も朝から綺麗な根津神社を見ていた。リハビリが始まって、1日、20分から30分を3番組、始めの頃に較べたら結構話せるようになってきた。もう退院しても大丈夫だと私は思うが、医師は心配が多いのだろうな。大学矛の会の三森君が来たので、ビックリ。おまえ結構元気じゃ無いかといういつもの挨拶。意識を失って5日目とは思え無いくらいの元気さは有ると思う。今日はユッくんが仕事で飲みが入っているからと言うことで、町一人で見まいに来てくれた。ホワイトデーのお返しを渡すつもりでいたのだが、女房が渡すものが見つからなかったと行って持ってきていないので、渡せなかった。町とは、見積もりの話。酒を飲ませられなくてごめん。
やることが無いので体力が余っているようで、昨日も早寝をしたので。朝の5時には起きている。朝の景色太陽が昇ってきて、根津神社をだんだん照らして行くところを見ていると、は空気の清浄さと厳かな綺麗さがあって、昔の人が信仰し始めたのは当然という感じがしてきた。少し喋れるようになってきたので、レイクランドに電話をして手塚さんと話を付けた。天地会は私が考えていたように全員プレー代は値引き、その他のサービスも付けると言うことで。石坂君にもその辺の案内をしておいた。急に任されたのに、彼も良くやってくれている。
今まで、まず部屋のことを考えず、集中治療室に入れられていたのだが、部屋に空きが出たからと言うことで部屋の移動。1210号室。2階で根津神社の前昨年丸が結婚式を挙げた根津神社が上から見られる。いい部屋だ。ついで導尿も外され、トイレには自分で行くことに。尿毒症の予防だと思うが、利尿剤を使っているので、1時間に1回くらいトイレに。トイレで小便は解析器に入れなくてはならない。データを直接検査室に送るために、小便場所の指定がありそこでやらないとデータが送れない。近くにもトイレがあるのだが私のトイレが遠い。水は1日1000CCと言われたが、こんなにしばしばトイレに行っていたら、1000CCで足りるはずが無いのだが。
先生と看護師から毎回氏名と生年月日を訊ねられる。面倒くさいと思っているが、昨日までは口が回らず、すぐに答えられなかったのだから、仕方が無い。昨日がエイプリルフールだった、忘れていた、もっと面白い答えをすれば良かったのにと思った。
本来なら今日は、靖国神社に行って、”靖国の桜の下で同期の桜を歌う会”のあと、、丸、町と花見をしながら、市ヶ谷方面に出て、酒を飲むという予定だったのだが、半身不随2日目。すべての予定はこれでは無理で、中止。声があまり出ない中で、どうやったの思い出せないが、女房に、丸、町との飲みの延期と、石坂君に連絡して、天地会を差配の交代を頼んでもらった。医師に2つの点が上手くいったので良かったのですよ、生きていてラッキーですと言われたのだが、まだ頭が廻っていない。何がラッキーなのだか分からない。トイレに行きたいと言ったら、導尿が入っていて紙おむつになっているからそのままでいいですよと言われた。楽だが気持ちが悪い。でも歩けないからやっていたらだんだん慣れてきた。
千歯の総会があり夜は行こうと思っていたのだが、10時くらいに朝食が終わって、リビングの椅子に座っていて立ち上がろうとしたら筋肉に力が入らず、そのままコケて、右側頭部を少しぶつけてこぶが出来た。これが今回の脳卒中の始まり。このアト入院したので。日記の形式で、退院した4月7日以降に書いています。が、まだ先生からキチン治した話を聞いているわけでは無いので、今現在私が理解しているところです。椅子から落ちたままで、声が出ない。力が入らない。リビングのソファーの所まで行って上にあがろうとしていたら、女房がやってきた。事情を話そうにもしゃべれない、アーウー言葉を理解してくれて、救急車を呼んでくれ、目白の救急隊が部屋まで来てくれた。今回の件は救急隊からなにから皆ついていた。救急隊員に肩を支えてもらって玄関まで行った時にトイレ見に行きたくなって、玄関の横に有るトイレまで案内してもらっている時に、すべての穴が緩んで、すべて吐きだした。この辺から意識がなくなった。最初は、都立大塚病院に行った。電話で連絡してあったので、医師達が病院の入り口で迎えてくれたみたい。大塚では自院では救急オペ等無理との判断で、日医への転院を薦められて転院。ここでも都立大塚から案内が行っていたようで、医師達が待っていてくれて、即座に病室に入れてくれたとのこと。緊急で部屋が無いので、リカバリールームだったとのことだった。このとき多分心臓から血栓が飛んで脳の血行を止めていたのだが、なにかの拍子にその血栓が上手く外れてくれたらしい。また血栓が上手く外れず、周りを傷つけたりしたりするとクモ膜下になるとのことで警戒したが上手くいった。2つのラッキーが有ったとのことだが、この辺の話は夢うつつで聞いていたので、確かでは無い。この辺はあとで確かめないと。
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