SSSAに言ってストレッチ。その後ジムに言ってゆっくり風呂。急に”溥傑自伝”を読み始めた。満州国の記録というか、満州国皇帝の弟が陸軍士官学校に入って。軍人になった人。乾隆帝が自分の遺書を記した紙を残しそれを溥儀と兄弟で見た話が載っている。その文書について、乾隆帝の父雍正皇帝がその父康熙帝から譲位を受けた時、康熙帝の遺勅の中に、十四子に帝位を譲りたかったのだが雍正帝は遺勅を書き換えて四子にとして兄2人を殺して即位したという話が伝わっているが、この話は嘘で、乾隆帝が父が皇帝になるために兄弟殺しをしたことについての贖罪の文書を残したということに気が付いたということなのだが、十四子、四子の話は嘘で清国では公文書を中国語で書くことはない。正式文書は満州語であると書いてある。岡田正弘の話と同じ。
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