ニューズウイークを見ていたら映画監督なるものが論を展開していたが、南京虐殺、従軍慰安婦をそのまま認め、日本は悪いことをした云々米中の言い分そのまま日本は悪い国だ論。なんで映画監督にそのような文を書かせるのか?もう少しいろいろなことを考えられる人でないと。当社に都合が良いからか、変な論理を展開されて広められては。と思っていたら気分が悪くなってきたが、そのあと渡辺利夫元拓大学長の”台湾を築いた明治の日本人”を読んだら、杉山茂丸の子の夢野久作の子の杉山龍丸の話。話は戻って、台湾第2代総督児玉源太郎が台湾の衛生と産業発展に力を入れ、まずは農業ということで力を入れて、八田與一が作っていた嘉南大玔(土偏だと思うが)により水利を図り、金をかけて広大な農地を作り、台北から台中に移した農事試験場で、磯永吉氏と彼に選ばれた末永仁氏でコメの品種改良を重ねて、台湾でも育つ量も多くおいしい蓬莱米を作り上げた。一方杉山龍丸は陸士を出てボルネオで胸部貫通銃創、フィリピンで少佐で終戦。日本に戻って秋葉原で仕事をしているときに、ビハリー・ボースがらみで、インドの青年を紹介され、インド、アシュラムに行った時インドの暑さに驚き、ユーカリを植えることを思いつき、パンジャブからパキスタンまでユーカリの並木を作った。その資金のために父が作った杉山牧場を売り祖父関連で”玄洋社”に資金援助をしてもらった。インドのの食糧事情も考えていた時にボルネオによいのではないかと考えていた蓬莱米の研究者磯氏を紹介されいろいろと教えてもらっていた時、孫文生誕100年で蒋介石総統から国賓として招かれた。多分祖父杉山茂丸が、孫文の活動を助けていたことによるものだったと思われる。その後の招宴でのあいさつで杉山龍丸が”現在台湾とインドは国交がないが、アジアの志士たちが孫文先生を助けたことが中国開放につながっていたわけで、台湾のお米蓬莱米をインドで使わせてもらえないかといったところ、蓬莱米20トン国連を通してインドに送ってもらえた。この米はインドでは成長が早く3期作もできた。今はインドのコメとの交配で強い種を作っているとのこと。よかったよかった。戦争には負けたが、戦前の日本の政策が間違っていたというわけではないということだと思う。
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