今朝の産経の朝刊に、浦髙大久保君が言っていた、荻野吟子・日本最初の女医の話を本郷和人が書いていた。新聞に書いてある伝記でも血沸き肉躍る。コロナ禍で雑司ヶ谷の墓地を歩いていた時に、日本最初の女医という案内があって、彼女の名前を聞いたことがなかったが埼玉県出身ということで興味があった。伝記を見たことが無く、どのような人物であるか知らなかったのだが、自分に性病を移した夫と離婚してお茶大(東京女子師範)に入り。お茶大が移転した後に建っているのがわたくしのいた大学なので、彼女と同じ場所で勉強したことになる。まずいことに志に大分差がある。女子師範卒業後、勉強をして医術を修め、女子の医師がいなかったので医師のいろいろな先生の力を借りて、女でも試験を受けてかれば医師として求めるべきだという意見が通って。試験が受けられ合格して女医の第1号となった人。雑司ヶ谷の墓地にそんな立派な人も眠っているとは。夕方から東武デパート。ロイロな事務用品を買って、帰りに年賀状の校正済みの原稿を渡して帰宅。
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