田岡一雄の自伝”山口組三代目”読了。この本は自分で書いていないと思う。
親が子に何かして貰ってはいけない。子分にあげることはあっても貰ったことはない。奢って貰ったことはないしまして上納金などあり得ない。数名殺傷した以外の悪いことはしていないと書いてある。眉につばつけながら信じることにする。
戦後いわゆる三国人が兵庫警察を襲撃するというとき、、警察では対抗できないので、山口組に依頼、屋上に重油を詰めたドラム缶を置きこれを落とすとともに手榴弾約40発を投げそのご日本刀と拳銃で殴り込む計画で警察署に立てこもったとき、警察幹部が清酒を振る舞った上相手を殺傷した場合はその罪を問わず、裁判所の裏口から釈放することを確約、捕虜にだけはならないように、殺傷したときは報奨金、見舞金を与えると言って士気を鼓舞したとある。その後の警察と暴力団の癒着というのは、この辺の続きだと思い理解できた。
戦後の三国人、進駐軍兵士の横暴、市民を守る日本のやくざという意味では一つの記録、あの頃のことがよく分かる。
山口組の子分は明らかに韓国人と思う人もいるが皆日本名傘下の組長や相手の組の幹部については、●●●(日本名)こと×××(韓国名)という記述が多い。暴力団になんと韓国人が多いことか。組は、日本の右翼と思っていたが。
今日はこれから女房方の墓へ、夜は境先生の通夜。行ってきます。
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