朝起きてフロントに行ったら昨日はすみませんでしたということでホテルのクーポン券15000円分をくれた。裏を見たら池袋にもあるのであちこちにあるなら役に立つなと思って受け取った。名護屋城に向かって出発。以前に見た地図では東に進めばよいのだが、カーナビによれば南に下って行く。カーナビは使ったことが無いが、この際カーナビのとおりにしてみた。すると高速を使って早く行けた。伊万里、唐津を過ぎて名護屋城に近づいたら、おなかの調子がおかしくなってきたところにドライブイン。もうこの先ドライブインはなさそうなのでイン。そこでこの先の道を聞いたら名護屋城は近そうなので、呼子経由で行くことに。名護屋城の手前で道を間違えたが、少し走っておかしいことに気が付いて戻って、名護屋城に。名護屋城は朝鮮征伐の時に作ったものだが、地図を見てもドンズマリの所にあり、そんなに大きなものだと思っていなかった。太閤が行ってそこで茶会を開いたりとあったが、朝鮮征伐の後方基地ではあるが臨時のものと考えていたが、どうしてどうして、壮大な本格的な城だったので驚いた。出先の城では無く、太閤が言っていた明に天皇を移しと言うのは本気だったようだ。明、朝鮮、の連絡機関として作ったものだと考えた。そうで無ければこんなに大きな城はいらない。また朝鮮に渡った兵が帰ってきた時海の上からこの壮大な城を見て、日本に帰れたと実感させるために建てたのだろう。来てみてよかった。
その後唐津城へ。往きに間違えた道は車も無く走りやすそうだったのでこの道で稼いで途中国道に出てと考えて走り始めた。ナビのいう通りに橋ったら途中国道を横切っただけで唐津城まで、上手く裏道を当てたようだ。唐津城の展示品は見るものなし。城の歴史とか城の構造の話がほとんど無かった。昭和のコンクリートだからだろう。
唐津の街はシャッター通り商店街。一人一人が生活できる国にしないと。
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