宮崎正弘の”神武天皇以前”縄文時代の話だが、面白い。伊弉諾、伊邪那美の2神が天上界から鉾を廻してそのしずくで作ったのは淤能碁呂島、これはおおむね淡路。次の天孫降臨は高千穂、これはおおむね宮崎、九州。神にとっては近畿と九州の距離なんてと思うが、なんでまた高千穂から大和、樫原に行って即位をしたのだろうか。神だからすぐにどこにでも行けるとは思うが、わざわざ九州で天孫降臨をした理由は? 今日は稲田朋美の講演を聞きに行く予定だったが、変なところで電話がかかってきて行けなくなってしまった。聞きたかったな。石平”中国5000年の虚言史”読了。中国はそういう国だ。
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